誰からも認められる女性技術者となり、 発展途上国の人々の暮らしに貢献したい。

2019年6月28日掲載

大手重電メーカー富士電機の電気の技術者である下窪さん。機械工学科出身という、電気の技術者としては異色の経歴の持ち主ですが、学生時代に電気工学関係の知識も身につけ、入社後も、仕事をしながら電気の知識を身につけていったそうです。品質保証の担当を経て、現在は生まれ故郷でフィールドサービスのエンジニアとして活躍中。「電気の技術者だからこそどこでも仕事ができる」と、活躍できるフィールドの広さを実感されています。

プロフィール

2009年4月
阿南工業高等専門学校 機械工学科 卒業
2014年4月
富士電機株式会社 入社
2014年6月
産業インフラ事業本部 千葉工場 品質保証部 品質保証第二課
2018年1月
営業本部 四国支社 CE課 徳島サービスセンター

※2019年4月現在。文章中の敬称は略させていただきました。

制御情報工学の専攻からスタート

下窪さんが高専に進学された理由を教えてください。

下窪:徳島県の阿南高等専門学校に入学したのですが、一言で言えば好奇心から選びました。というのも、家を離れて寮生活を送るということに興味があったのと、20歳以上の大人も一緒に過ごすという点が何となく面白そうに思えたからです。

機械工学を専攻されたのはなぜでしたか。

下窪:阿南高専には、入学時は仮専攻で、2年次に進級する際に改めて専攻を決める再選択制度というシステムがありました。私の場合、最初は制御情報工学を専攻し、2年生に上がるタイミングで機械工学科を選びました。1年次に全学科の実習をまんべんなく受けたのですが、機械工学科の場合、溶接をしたり切削したりというのが楽しく、ものづくりの実感が味わえる点に惹かれたわけです。反対に機械工学系から電気工学科を選択する人もいて、今の仕事を考えると電気工学科を選んでいれば…と思うこともありますが、その分を取り返すべく今は電気工学の勉強を頑張っています。

その当時、電気に興味はありましたか。

下窪:コンセントを使えば当たり前のように家電製品が動くということで、子供の頃から電気というのは本当に身近でした。興味があるというより、ごく当たり前の存在という感じでした。でも今思えば、それは電気に関する高度な技術力があってのことであり、後述しますが、ベトナムに留学した際に「電気があることが当たり前ではない」ことを思い知らされました。

ベトナムで停電を経験し、将来の夢が見えてきた

高専では、周囲に女性はいましたか。

下窪:ええ。私たちの学年全体で女子は160名中22人で、機械工学科では40名のうち4人が女子でした。ただ私は性格的に大雑把というか、細かいことを気にしないタイプでしたので、特に男女の分け隔てなく過ごすことができたと思います。体育や球技大会のときに男子にかなわないと感じたくらいですね。毎日とても楽しく過ごすことができました。

研究内容を教えてください。

下窪:研究室の先生の専門が熱力学でしたので、熱と圧力を利用して紙を高質化させる研究に取り組みました。高知県に和紙を使った指輪などを販売しているアクセサリー工房があって、それをお手本にして、紙でアクセサリーを作ることを目標にしたのです。10円玉のように小さくて硬い素材を作るのに丸2日もかかったり、やっとできあがったサンプルを取り出そうとしたら割れてしまったりと、たくさん失敗したことが記憶に残っています。

高専時代で最も印象に残っているのではどんなことでしたか。

下窪:4年生の時に、交換留学制度を利用してベトナムの工科大学に留学したことが一番思い出に残っています。1ヵ月という短い期間でしたが、ダナンにある大学で学生に交じって一緒に授業を受けたり、ベトナム人の友人に観光案内してもらったりして、気がつけばベトナム人とベトナムという国が大好きになっていました。ホテル暮らしだったのですが、印象深かったのは週に何度も停電したことです。日本だったらホテルが停電するなんて考えられませんが、ベトナムでは当たり前のようで、停電のたびにホテルの人が小型発電機を回していた姿を覚えています。やはりベトナムは発展途上国でまだまだインフラの整備が遅れていることを実感し、大好きなベトナムの友人のためにも、いつか何かの形で私から恩返しできたら、と思いました。

仕事をしながら“基礎の基礎”から電気を学ぶ

阿南高専卒業後、富士電機に入社されました。機械工学科のご出身でありながら大手重電メーカーである富士電機を選ばれたのはなぜですか。

下窪:先ほどお話ししたベトナム留学が一つのきっかけとなりました。というのも、発展途上国のインフラ整備に貢献している企業に入社し、自分もその第一線で活躍したいと考えたからです。高専で開催された企業説明会に出席し、そうした思いを伝えたところ「入社1年目からでも海外で活躍するチャンスがある」との答えが返ってきて、ぜひここで自分も頑張りたいと思いました。もう一点、女性がのびのびと活躍できる企業に行きたいと考えており、その点でも富士電機は自分の希望にふさわしいと感じました。高専の先輩で富士電機に入社した女性も「いい会社ですよ」と勧めてくれました。

とはいえ、電気に関する専門知識をお持ちではなかったわけですから、入社後は苦労されたのではないですか。

下窪:ええ、電気のことはまったくわからず、直流と交流の違いを学ぶところからスタートしました。仕事をしながら先輩に教わったのですが、先輩も「そこから?」と苦笑気味でした。シーケンスのa接点・b接点とは何かといったことから始まり、先輩に一つひとつ丁寧に教わりながら前に進んできたというのが実感です。とにかく、機械は目に見えますが電気は見えないというところが一番大変でしたね。説明を聞いたり資料を読んだりしても納得できないというか、腑に落ちないことばかりで、今もまだ勉強の最中です。

富士電機は重電や特別高圧の機器を多数製造していますから、その知識を学ぶことは、さらに高い壁だったのでは。

下窪:それが実はそうでもありませんでした。というのも電気については素人同然のスタートでしたので、重電や特別高圧は大変というような意識がまったくなかったのです。いわば先入観なく学べたので、その点はむしろ知識ゼロで入社してよかったと感じました。

女性のフロントランナーとして道を拓く

入社して配属されたのが千葉工場でしたね。こちらではどのような業務を担当されましたか。

下窪:GIS(ガス絶縁開閉装置)に収められたガス遮断器などの品質保証業務を担当しました。具体的には外観検査や開閉性能試験、耐圧試験などです。一般家庭で言えばブレーカーに相当する、電力系統のスイッチの役割を果たす機器ですので、万が一にも不具合等を見逃すことは許されない非常に責任の重い仕事でした。この品質保証業務を女性で担当することになったのは私が初めてということで、その点でもやりがいは大きかったです。私の後も女性が担当することになりましたから、私が第一号として後輩に道を拓くことはできたかなと、誇らしく感じています。

当時のエピソードがありましたら教えてください。

下窪:お客様立ち会いのもとでGISの試験を行ったときのことです。断路器や設置開閉器の手動開閉試験では、形式によってはハンドルを回すのにかなりの力が必要となることがあります。私は小柄ですし、M10のトルクのネジ締めもできないぐらい非力でしたから、最初の頃はとても自分では回せないハンドルもありました。それでも、その頃にはだいぶ慣れてきたので、お客様の前でもしっかりとハンドルを回すことができたのです。そうしたらお客様から「あなたのような小柄な女性でも回せるとわかったので、安心しました」と言われました。私だからこそお客様にそのように喜んでいただけたわけで、とても嬉しく思いました。

現在はどのようなお仕事をされていますか。

下窪:4年目に生まれ故郷である徳島県の「徳島サービスセンター」に転勤となりました、ここではフィールドサービスのエンジニアとして、高・低圧受変電設備や低圧機器利用制御盤などの納入試験や障害対応、更新提案などを担当しています。お客様は食品工場や化学工場、公的機関などが中心です。限られたメンバーで対応していますので、見積書の作成や機器の発注、工程管理、現場工事のとりまとめなど、非常に幅広い業務をこなさなくてはなりません。カバーする範囲が広く、お客様にとってみれば私が富士電機の代表ですから何を質問されても責任ある回答をしなくてはならず、毎日が勉強です。わからないことがあれば上司が教えてくれるのはもちろんのこと、高松や松山のサービスセンターに電話をすれば、先輩たちが丁寧にアドバイスしてくれます。

電気技術者だからこそ全国どこでも活躍できる

女性としての働きやすさについては、どう感じていますか。

下窪:女性にとって非常に働きやすい会社だと感じています。千葉工場では私が女性として初めて品質保証業務を担当したとお話ししましたが、それまで職場には男性トイレしかありませんでした。それが、私が業務を担当することになって女性用トイレを作っていただきました。あのときは、とても女性を大切にしてくれる会社だと、嬉しくなりました。産休・育休などの制度が整っているのはもちろんのこと、産休から復職して活躍している女性技術者もいらっしゃいます。しかも、単にそうした制度が整っているというだけでなく、周囲の社員もそうした制度を積極的に活用するのが当たり前と受け止めているようです。

高専時代に機械工学を学んだことは、現在の仕事に役立っていますか。

下窪:機械工学を学ぶと、平面から立体をイメージするのが得意になります。ですから千葉工場で品質保証を担当していたときは、ガス遮断機などの外観検査で外形図を見ながらチェックするときに、機械工学の経験が役立っていると感じました。

では、電気に関わる仕事に携わってよかったと思うのは、どんなことでしょう。

下窪:電気はどこでも使われており、電気の知識はどんな場所でも必要とされます。ですから電気技術者は日本全国、どこでも活躍できるということが、一番の魅力だと感じています。実際私も故郷の徳島県に帰りたいと考えて異動の希望をしたのですが、それもしっかりとかなえることができました。仮に機械の技術者だったとしたら、工場などがなければ仕事も見つからなかったかもしれません。電気だからこそ、どこでも仕事ができると感じました。

最後に、これからの夢を聞かせてください。

下窪:今はフィールドサービスのエンジニアとしての業務知識を身につけるだけで精一杯なので、早くひとりだちし、提案活動や受注活動にも貢献できるようになりたいです。いずれは「女性の電気技術者だったら下窪さん」と誰もが認めるような存在を目指したいと思います。そして、将来の夢としては、やはりベトナムなどの発展途上国で活躍してみたいですね。電気の技術者としての知識を活かし、現地の人々の暮らしを豊かにすることに貢献できたら、と考えています。

ありがとうございました。

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