電気は、社会に不可欠なライフライン。だから、私は高電圧・大電流に向き合う。

2009年7月29日掲載

三菱電機株式会社は1965年に日本で初めてガス遮断器を製造したメーカーで、日本及び世界各国の電力の安定供給に貢献しています。今回の社会人インタビューは、「ガス絶縁開閉装置」の開発を行っている電気工学出身のエンジニア・藤田大輔さんに話を伺いました。

プロフィール

1996年3月
姫路工業大学 工学部 電気工学科卒業
1998年3月
姫路工業大学大学院 工学研究科 電気電子工学専攻修士課程修了
1998年4月
三菱電機株式会社 入社

※姫路工業大学工学部は、現・兵庫県立大学工学部

※2009年1月現在。インタビュー中の敬称は略させて頂きました

電気工学は応用範囲が広い

大学受験のとき、なぜ電気系の学部を志望されたのですか?

藤田大輔(以下、藤田):私が電気を意識するようになったのは、子供の頃からです。電気って、自分の身のまわりや生活のいたるところにありますよね。家の中では電灯はもちろん、テレビやパソコンや冷蔵庫・・・・。外を見れば、電車が走っているし、街の灯りもあります。山に登ったら、送電線があります。子供の頃、どうしてこんなに身のまわりにあるのか不思議に思っていました。

電気の仕組みについて漠然と疑問を持っていたわけですね。

藤田:そうですね。それが年を重ねるにつれ、だんだんと仕組みが分かっていくようになります。発電所で発電した電気が、送電線・配電線を通して、一般家庭の身のまわりにある電気製品につながっていくという基本的な流れです。私は、もっと具体的にどういう理屈や構造なのかを知りたいと思うようになってきたのです。それが電気工学を学びたいという直接的な動機です。

なるほど。それから電気工学系の研究室へ進まれたわけですが、どのような研究をされていたのですか。

藤田:私の研究は、有機薄膜素子という材料の研究です。有機薄膜素子は、発光素子や電池などに応用される材料です。最近話題の有機ELディレスプレイにも使用されています。

どちらかというと、電気というより電子的な研究ですね。

藤田:はい。ただ、元々うちの研究室は、電力関係の絶縁材料をやっていました。そういう研究室が、同じ有機材料を使った電子的な研究をやることはよくあります。電力と電子材料、ぜんぜん違うものですが、技術的な共通点は意外とあるのです。だから逆に言うと、電気工学の応用範囲が広いということが言えると思います。

日本全国の電気学会に参加して、身につけたスキル

研究室時代の思い出を教えて下さい。

藤田:やはり学会活動ですね。うちの研究室は、とにかく学会活動に積極的で、日本全国を飛び回りました。メインは関西や東京でしたが、北陸や九州も行きました。電気学会の全国大会、部門大会、支部大会や研究会、ほとんど参加しました。

それは発表が大変そうですね!

藤田:はい、きつかったです(笑)。ただ、論文を書くための文書作成力や考察力、プレゼンテーション能力なんかはすごく鍛えられました。今、仕事をする上でとても役に立っています。それから、卒業前に担当の先生(現・大学院工学研究科電気系工学専攻の小野田教授)から「電気学会の論文誌に投稿しなさい」といわれて、論文を書いたのも貴重な経験になりました。普通は最後の修士論文を書いたら、終わりなのですが(苦笑)。

なるほど(笑)。他に何か思い出はありますか。

藤田:学部生の実験をサポートして教える側になったのも、思い出に残っていますね。サポートというかほとんど私が教えているようなものだったのですが(笑)。教える側の大変さを身に染みて勉強しました。

日本の電力供給を支える、巨大ブレーカーを開発する

三菱電機へ入社された理由を教えて下さい。

藤田:学生時代の授業で、「電力を送電するときの電圧を高くすると、送電ロスが少なくなる」ということを教えてもらったのがきっかけでした。しかし、大学での研究は、せいぜい数万ボルトぐらいの電圧しか扱えません。実際の送電系統で最大のものは、50万~100万ボルトで構成されているのです。だから、学生時代には味わえなかった高電圧を扱った仕事をしたいと思いました。こうした高電圧の電力機器をつくれるのは、日本では3社しかありません。そのひとつが私の地元にあった、三菱電機でした。

なるほど。きっかけは、高電圧の送電系統だったのですね。

藤田:はい。でも、実際に会社訪問で機器をみたときは、意外に小さいなと思いました。悪い意味ではなくて、こんなに小さい機器で本当に50万ボルトを扱えるのかと驚きました。それで逆にこれは面白そうだと思って、三菱電機へ入社を決めました。

それでは、入社してから現在に至るまでのお仕事をお教え下さい。

藤田:入社してから11年経ちますが、ずっと「ガス絶縁開閉装置」の新開発や製品化を手がけています。「ガス絶縁開閉装置」とは、いわば変電所や発電所の機器を落雷などから保護する巨大なブレーカーです。災害時には、50万ボルトの電気を瞬時に止める性能を持ちます。日本の電力供給を支える安全装置です。

高電圧の送電系統は凄いですね。

藤田:そうですね。電圧は50万ボルト、電流は数万アンペア、発電機用の遮断器になると10万アンペア以上を取り扱います。そんな高電圧・大電流と向き合って仕事をしていることが、私達の最大の特徴であり、やりがいですね!

ガス絶縁開閉装置(GIS)

電気工学は、電力系統全体を見渡す知識

今の仕事に、学生時代に学んだ電気工学はどのように役立っていますか。

藤田:電気工学の基本は、電磁気学と電気回路ですが、この2つは今の仕事に直結しています。もっともこれは、あらゆる電気製品に関わるエンジニアに言えることかもしれません。いずれにせよ、この2つの知識は電気製品に関わる以上、永遠の基礎知識になると思います。それから、私の仕事だけに限れば、送配電工学や電気機械学が非常に役に立っています。また、研究室で「ガス絶縁開閉装置」に関係する絶縁の研究もしていて、初歩的な知識は知っていましたので、入社後の研修の時に、多少とっつきやすかったのを覚えています。

では、これまでで一番印象に残っている仕事を教えて下さい。

藤田:やっぱり最初に「ガス絶縁開閉装置」の設計・開発をしたときですね。私は電気系だったので、図面を書く経験がありませんでした。CADを使ってはじめて設計をして、「ガス絶縁開閉装置」が完成したときは感動しましたね。

機械設計もやっているのですね。

藤田:そうですね。開発は機械設計も電気設計も両方やっています。実際に開発をはじめて最初の2~3年は、どちらかというと機械工学の知識が必要になります。ただし、ある程度キャリアを積んで、お客様の前に出るようになると、系統の運用など全体を見る必要が出てきます。そうなると、電気工学の方が業務の中で大きくなっていく感じです。

阪神大震災で痛感した「電気はライフライン」

では、電気工学を学んでよかったことを教えてください。

藤田:私は神戸出身なのですが、大学生のときに阪神大震災がありました。私が住んでいるところも被災して、2週間以上避難生活を余儀なくされました。そのとき、ライフラインで一番復旧が早かったのが電気でした。関西電力さんが昼夜問わず作業をして頂いたおかげで、電気は3日ぐらいで復旧しました。灯りがともったときの歓声は今でも忘れられません。同時に、電気がないと私たちは何もできないのだなぁと実感しました。この震災のときに、改めて電気工学を学んでよかったと思いましたね。

電気はライフライン。これは絶対に忘れてはならないことですよね。これから電気工学を学ばれる方にメッセージを頂ければと思います。

藤田:電気工学を学ぶということは、就職や資格のためという理由もあると思いますが、それだけではなく、世の中にある色々な電気製品の仕組みが分かるという楽しさを知ってほしいですね。そうすれば、楽しみながら電気工学が学べるはずです。その上で将来的にどういう技術者になりたいのかを考えて欲しいです。

最後に藤田さんのこれからの夢や目標を教えて下さい。

藤田:技術者としての道を究めていきたいと思っています。「送電系統やガス絶縁開閉装置なら藤田!」そう言われるぐらいになりたいですね。

ありがとうございました。ぜひこれからも、世界の電力の安定供給を支えるエンジニアとして活躍を願っております。

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