vol.19 九州大学 髙野 浩貴 助教
2014年7月31日掲載
髙野 浩貴
九州大学 大学院システム情報科学研究院 電気システム工学部門 助教
- 2006年 3月
- 福井大学 大学院工学研究科 博士後期課程 システム設計工学専攻 修了
- 2006年 4月
- 岐阜工業高等専門学校 電気情報工学科 助手
- 2007年 4月
- 岐阜工業高等専門学校 電気情報工学科 助教
- 2009年 4月
- 岐阜工業高等専門学校 電気情報工学科 講師
- 2011年 4月
- 九州大学 大学院システム情報科学研究院 電気システム工学部門 助教
電力分野への最適化の応用に関する研究に従事(電力マネジメントなど)
通勤経路の選び方
突然ですが、問題です。図1は、ある人の住まい(START)から勤め先(GOAL)までの経路を示しています。図からも分かる通り、この人には幾つかの選択肢(①~⑦のどこで右折するか、など)があります。この人にとって、最短でGOALに辿り着くのは、どういった経路を選択した場合でしょうか?
はい、単に最短が良いのであれば、答えは図2(①で右折)のようになります。GOALはSTARTの左上にあるわけですから、右や下に進む経路は選択肢としては考え難いですよね。では、図2の経路が最適な経路であると言えるのでしょうか?
お察しの通り、ある人とは・・・私です。私の通勤経路は図2とは異なり、図3のルートA~C(ルートA:③で右折、ルートB:④と⑧で右折、ルートC:⑤で右折)のいずれかです。ルートA~Cは、混雑具合で使い分けます。図2の経路ならば、距離が短く、信号機の数も少ないにも関わらず、です。これらは最適な経路ではないのでしょうか?
最適な経路とは
条件が分からないと判断できない、そう思うかもしれません。では、少し情報を追加します。図4は、道路状況の情報を加えたものです。これだけ加えたのみでも、私がなぜ図3の経路を選択しているか、分かり易くなったと思います。①以外は信号機がある、①で進入する道路は道幅が狭い(ただし、通勤時間帯は一方通行)、①の出口が混雑するため右折し辛い、といった情報を追加すると、さらに分かり易くなります。私にとっては、単に「最短であるか」どうか、ではなく、「走り易いか」などの別の要素が選択基準に加わっているのです。
少し別の視点で見てみます。図4から分かるように、①で右折する車がいる場合、その車の後ろの車は前の車が右折できるまで待つことになります。STARTから①の地点までの間が毎朝混雑している要因の一つに、この右折待ちが含まれると私は考えています(混雑時は混雑していない時の2倍以上の移動時間が必要)。では、①で曲がるのは良くないのでしょうか?私はそうは思いません。道路が混雑するということは、それだけ多くの人が同じ方向に向かいたいということです。私にとってのGOALよりももっと左に目的地がある人たちにとっては、①で右折してくれる人は、目的地への経路の混雑緩和・解消に協力的だと言えます。
つまり、最適化を考える際には、「何にとって最適なのか」がとても大切になります。私の選択経路も、「私にとっては」良い経路ですが、「他の人から見ると」良い経路ではないかもしれないのです(でも、やっぱり、右折待ちで行列ができているのを見ると、う~ん、と感じてしまいますが・・・)。
余談ですが、STARTから①の間は海沿いの道路で、とても気持ちのいい場所です(図5)。
スマート○○
いったい何が言いたいの?と思われてしまったかもしれません。ただ、最近の私の関心事と先ほどの例との間には共通点がある気がしてなりません。それでは、私の好きな分野を中心に、その内容をご説明しようと思います。
スマートコミュニティやスマートシティといった言葉をよく耳にするようになりました。私も、こうした取り組みには関心が高く、色々な講演会に参加するなどして勉強をしています。最近、どんなコミュニティやシティが、「スマート」と呼ぶに相応しいのだろう、とふと思うことがあります。スマート○○を実現するための重要な要素として、「社会システム(全体)としての最適化」と「生活する人(個人)にとっての快適化(最適化)」という二種類の最適化が含まれている気がしており、どのようにこれらを同時に達成するのかがまだ良く分からないことが、この疑問を生んでいます。
個人の最適化では、センサなどを利用して様々なデータを計測・集約し、さらにそれらを分析してその人に適した生活スタイルを見出し、提供することを目指しています。たくさんのセンサを設置して計測・集約・分析するとなれば、一つ一つのセンサのエネルギー使用量は少ないとは思いますが、全体としてのエネルギー使用量は増加します。また、これまで人が行ってきたことを自動化すれば、その分エネルギーは増加するでしょう。…もちろん、機器などのさらなる省エネ化や自動化によってムダが無くなれば、エネルギー使用量という視点では現在よりも状況が良くなることも考えられます。
一方で、エネルギー分野の最近の取り組みとして真っ先に私の頭に浮かぶのは、再生可能エネルギーの効率的な利用やDemand Responseなどです。しかし、これらは、快適性をできるだけ損なうことなく、環境性に優れた社会システムを実現するものだと思いますので、「(完全に定着するまでは)不便さを受容してもらう」ことに繋がるものと考えています。
先ほどの通勤経路の話で言えば、最短経路を選択したいという人や、走り易さを重視したいという人のように、人によって「快適さ」の指標は異なります。これらを個別に最適化できれば、個人にとっての快適な生活は実現されます。しかし、個別の最適化が実現した場合に、社会システムとして良い状態になるのでしょうか?
個人 vs.(?) 全体
全体としての最適化を考えるとき、個人個人の行動全てを考慮して全体の最適化はできないでしょうから、個人の行動を平均で扱うことが考えられます。平均からズレを有する人たちの存在(ほぼ全員)を考慮するために、ある程度余裕をみておくことも必要でしょう。個人を重視し過ぎるとこの余裕が大きくなり、最適化ができなくなります。ただし、余裕を小さくしすぎると、個人にとっての快適性は損なわれます。一方で、個人にとっての最適化が実現するということは、その人の判断基準などがある程度明らかになる、つまり、エネルギーで考えれば、いつ・どのように使用する(したい)のかを予測し易くする効果も期待できます。また、全体の最適化によって得られた値などは、個人が行動を決定する際、個人の行動を評価する際に一つの基準として用いることができます。このことから、お互いがお互いにとって良い点と悪い点を有していると解釈できます。
最近の私の関心事は、スマート○○を実現するには双方が歩み寄る必要があるのではないか、という点にあり、では、どこまで歩み寄る必要があるのか、歩み寄ることができるのか、を見つけることです。これは、私にとっては新しい「最適化問題」だと感じています。ちょっと面白そうじゃないですか?
私にとっての最適化
雑駁な内容になってしまいましたが、私が研究に関わるようになって、十数年が経ちました。この間ずっと、「最適とは何か」ということを考えてきたつもりです。その影響もあってか、普段の生活にも効率を求めるようになっている気がしています。通勤経路の件だけでなく、どの仕事をどの順番で実施していくかなど、「最適化する」という考え方が、今の私を強力に支援してくれているのではないか、と感じています。もちろん、最適化を実現できているとは思っていません。最適な○○を見つけるために試行錯誤を繰り返しています。一方で、私を支援してくれているその考え方が、私だけでなく他の人にも貢献し得るのです。私の場合、私の生活を除けば、最適化の相手として電力分野を選び、それなりに楽しく研究をできていると感じています。身近なところからもっと広い範囲まで役に立つ、そして、(ちょっとだけ?)私を豊かにしてくれる、私にとって、最適化はそういう存在なのかもしれません。
皆さんにとっての「最適」とは何でしょうか?