「電気」と「情報」のはざまから「社会」を診る

2023年5月31日掲載

根岸 信太郎(ねぎし しんたろう)

2018年3月
大阪府立大学大学院工学研究科博士後期課程電気・情報系専攻修了
2018年4月
日本電気株式会社データサイエンス研究所 研究員
2018年9月
東京農工大学大学院生物システム応用科学府 特任助教
2021年4月~現在
神奈川大学工学部電気電子情報工学科 准教授
2022年9月~現在
明星大学理工学部総合理工学科 非常勤講師

ことのあらまし

このコラムを見ている方は、少なくとも電気工学に関心のある方だと思います。大阪に住む一介の学部生だったかつての私もそうでした。ちょうど私が学部3回生(関西の大学では〇年生を〇回生と呼びます。関東に来てはじめて方言ということに気づきました……!)だったとき、東日本大震災が起こりました。津波によって太平洋側の多くの電源が停止し計画停電になる首都圏エリア、原子力発電所の事故、再生可能エネルギー固定価格買取制度の制度設計――。日本のエネルギー供給体制にとって大きな転機だったとともに、ちょうど専門科目の講義で発電や送電技術について学んでいた私にとっても大きな転機でした。そして、電力システムの研究に携わることで、この大きな変革に関わることができるのでは?と思ったのがきっかけとなり、電力システム工学の研究室の門を叩くこととなりました。

学部生のころに使っていた教科書。表紙もボロボロになってきていますが、いまだによく使います。

電力システムのディスパッチシミュレーションから「社会」を診る

東京農工大学に特任助教として異動した際に、環境省のプロジェクトで電力システムのディスパッチシミュレーションというものに出会いました。電力システムの発電機運用を決定する数理モデルを用いて長期間の電力需給を模擬し、年間の発電コストやCO2排出量、各電源種別の発電量を試算することができます。

このディスパッチシミュレーションでは、発電機運用を決める数理モデルとして、主に発電機起動停止計画問題(UC: Unit Commitment)を用いています。これは最適化問題の一種で、時々刻々と変化する電力需要に対して、発電機の燃料費と起動コストが最小となるように発電機の起動停止と出力レベルを決めるという問題です。発電会社の実務上、非常に重要な数理モデルとなっており、今もなお研究が盛んです。

この最適化問題の何が大変かといいますと、UCの中で発電機の起動停止は、0と1のバイナリ変数で表現します。0ならば停止状態、1ならば起動状態という具合です。例えば日本国内に発電機は数百台存在します。つまりひとつの時間帯で、発電機の起動停止の組合せは2の数百乗通り存在します。さらにそれが24時間もしくは、さらに長い期間の起動停止を考えることになると……。気の遠くなるような組合せになりますね(下図)。

N台ある発電機の起動停止状態。N台ある発電機をhコマ分動かす計画を立てると、その組合せ数は2のNh乗となります。
この数が少しでも大きくなると組合せ爆発が起こります。

さらに、発電機の運転には様々な運用上の制約が存在します。一度発電機を停止させてしまうと、再び起動するためには数時間のインターバルが必要です。発電出力を増減させる変化量は、燃料種別ごとに上限に差があります。他にも燃料在庫の上限や、電力需要や再生可能エネルギー発電出力などの変動に対応するための「余力」の確保――。非常に多くの制約の中、安価で、安定供給が可能な解を導かなくてはなりません。

どうしても人間が1人で考えられるものではありませんので、ここでコンピュータの力が必要になります。最適な発電機の組合せを決定するアルゴリズムや、現実の課題を落とし込んだ数理モデリング手法が今もなお新しく提案されています。

話を元に戻しましょう。このディスパッチシミュレーションの方法を使えば、様々なシナリオを入力して将来の電力需給をシミュレーションすることができます。例えば、ガソリン車が電気自動車に置き換わったとき、ガス給湯器がヒートポンプ給湯機に置き換わったとき、二酸化炭素の排出量削減目標が変化したとき、再生可能エネルギーの導入量が変化したときなどなど。その時々で、1日の発電機の運用や年間の発電コスト、二酸化炭素排出量の変化を試算することができます。

新しい自動車を作るとき、実物を作る前にコンピュータ上の3Dモデルで試作して実験するように、エネルギー政策を実行する前に電力システムの様々な状況を「試作して実験」することができるのです。これは、社会を下支えしている電力システムのシミュレーションを通して、未来の「社会」を診ていることに他なりません。

ディスパッチシミュレーションの未来

温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするカーボンニュートラル社会の実現に向けて、電力システムの実質的な脱炭素化が急がれます。その中で、どういう経過を経てそれを達成するのか、どのような技術を選択しうるのかを決定するためには、ディスパッチシミュレーションは欠かせません。

日本では、ここ数年でようやくディスパッチシミュレーションの結果が実際の政策を決める場所で使われ始めたばかりです。また、私も含めて様々な研究者が、電力システムだけではなく交通や製造業、上下水道など様々なセクタを組み合わせた社会全体のフローを模擬できるモデルの研究開発を行っています。

この研究が進むことによって、複雑に絡みあう現代社会のモノやお金の動きの関係性を明らかにし、不確実な将来をなんとか見通しながら、長期的な社会課題に対する合理的な意思決定を行うことができると私は信じています。

「電気」と「情報」のはざまから「社会」を診る、こんな分野に関心が出た人は、ぜひ一緒に道を切り開いていきませんか?

現在神奈川大学で主宰している研究室は、2021年4月に開設したばかりです。
電気工学と情報工学を掛け合わせることで、電力システム技術の発展に貢献していきます!


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