vol.34 名古屋大学大学院 占部 千由 助教
2024年5月31日掲載
占部 千由(うらべ ちより)
- 2006年3月
- 京都大学大学院人間・環境学研究科人間・環境学専攻 博士後期課程修了
- 2006年4月
- 京都大学基礎物理学研究所 非常勤講師
- 2007年4月
- 京都大学大学院理学研究科 研修員
- 2008年2月
- 大阪大学大学院工学研究科 特任研究員
- 2009年4月
- 明治大学研究・知財戦略機構 研究推進員
- 2011年4月
- 科学技術振興機構FIRST合原最先端数理モデルプロジェクト 研究員
- 2013年4月
- 東京大学生産技術研究所 特任助教
- 2022年7月〜現在
- 名古屋大学大学院工学研究科 助教
物理学から電気工学へ
電気工学分野で研究をされている方の多くは、学部から電気工学を学んできたかと思いますが、私の場合は学部から博士課程まで物理学分野の研究をしてきました。学部4年で研究室に配属するときには、そのときに流行していたカオスや複雑系というものが面白そうだと思い、複雑系について研究している研究室に入りました。当時は、カオスについての一般書も出るほどにブームでした。いくつかの定義を満たす現象が「カオス現象」と呼ばれますが、ざっくりと言うと、一見でたらめでなんの法則性も無いようにみえるけれど、実はある数式で表現することができ(つまり、実は法則性があって)、ノイズや初期値のごくわずかな違いでその後の挙動が変化したりするようなものです。しかも、カオスでは、フラクタルという概念も重要な位置を占め、とても綺麗なフラクタル図形がたくさんあります。マンデルブロ集合とか、野菜でいえばロマネスコもフラクタルです。カオスの見た目と中身のギャップやたくさんの綺麗な画像で、カオス現象に惹き込まれました。何事もきっかけは些細なことだったりしますが、「きれいだなー」で研究分野を決めました。
修士課程では、数学的なカオス写像の研究をして、博士課程では砂山がどうやってできるかについて研究をしていました。砂山とカオスはつながらないと思うかもしれませんが、かなり粗っぽい言い方をすると複雑現象という意味では一緒と考えています。砂山はたくさんの粒の集まりです。捕まえたい現象にもよりますが、粒の集合全体を一つの連続的なものとして扱うのではなく、一粒ずつや粒同士の接触のネットワークを考える必要がある、実はかなりやっかいなシステムです。手のかかる子ほど可愛いといいますが、やっかいなシステムほど面白そうだと思ってしまいます。結局はそれで泣きそうな苦労をする羽目にはなりますが、それはそれで楽しいです。
さて、まだ砂山と電気工学には距離がありますね。砂山の次に取り掛かった研究テーマは、破壊現象でした。砂山と破壊現象も全然違うように思われますが、破壊現象も破壊する物質を弾性体(例えばゴムとか)と考えれば、粒と粒とをつなぐバネでその物質をあらわして、バネが切れることで破壊を表現できるので、粒を扱うという意味では、私の中では同じものでした。多少奇妙な考え方かと思いますが、複雑なものは一旦思い切ってシンプルに捉えてしまえば、案外理解ができることもあります。シンプルにするときには、その人の個性やセンスが問われるので、できるだけ綺麗な切り出し方をしたいといつも考えています。
さてさて、まだまだ電気工学から遠いぞと思われるでしょうが、もう少々お付き合いいただけると嬉しいです。破壊現象の次は感染症の流行についての研究をしました。いよいよ、研究履歴がカオス(カオス現象でなく、混沌)だぞと言われても無理もないことかと思います。感染症が人にうつると言う現象は、一旦、人を粒だと思って人と人との関係のネットワークを伝って感染が拡大すると考えると…、はい、破壊現象と同じです。そして、人のネットワークを一時的に切れば(隔離すれば)、感染症の拡大は止まります。
ここまで、粒とネットワークからなる現象についてお話しをしてきました。それが、電気工学とどうつながるか。電力系統こそネットワークではないでしょうか。連系線や配電網など電気を送るネットワークもあれば、情報や制御シグナルを送るというネットワークもあります。私は、電力系統は、この2種類のネットワークが重なったものと捉えています。ただし、これまでの現象と少し違う点は、これは人間が意図的に作ったネットワークという点です。極度に複雑なシステムで、いよいよ面白い研究対象だと思っています。しかも、昨今の再生可能エネルギーの大量導入によって、システム自体の変革が求められています。もともとが複雑な上に、それを再生可能エネルギーが大量導入されても耐えられるようにうまくデザインしなければならないという難題を抱えています。この時代だからこそのテーマで、非常にエキサイティングです。
研究テーマの回遊
カオス現象から電気工学までの変遷についてお話しをさせていただきましたが、私自身ここで気づいたことがあります。そういえば、カオスが実現象で最初に観測されたのは、電気回路でした(1961年に上田 睆亮氏により発見)。物理学から電気工学まで、ずいぶん遠くまできたつもりでしたが、結局戻ってきたので、まるでお釈迦様の手のひらの上の孫悟空のようです。
道具と使い道
研究テーマは結局回遊しましたが、ただ遊んでいたわけではありません。その過程で、電気工学の王道で学んできた方とは違う経験や物の見方を身につけてきました。電気工学の研究者は当然と考えることが、私にとっては不可解に思われたりすることもありますし、その逆もあると思います。また、これまでの研究の中で、実データを使わせていただいて、その解析を行い、その上で数理モデルをたててシミュレーションをするということを多く行ってきました。数理モデルをたてるというのは、実現象の中で最も重要と思われる要素のみを抽出して、数式として表現することです。このときに、如何に必要最低限の要素のみを見つけて数理モデルに取り入れるかが腕の見せどころです。私としては、どれだけ綺麗な数式になるかということを考えています。
この物の見方と数理モデルが私の道具箱の中でも特に重要な道具です。100人の研究者がいれば、100通りの道具箱があると思います。だから、コラボレーションによって、面白い研究が生まれるのだと考えています。そう言う意味で、私は完全に違う分野の研究者とお話しをすることも大好きです。たくさんの物の見方を勉強することができますし、そんな道具があったのかという発見もあります。
平和は大事
私は私の道具箱を持ってどこに行くのかと、そんなことをいつも考えています。ただ、その根底には、この社会がどう変わっていくのかということがあります。一人一人の研究者も社会を構成する一要素にしかすぎませんし、社会から切り離されては研究もできません。また、社会が平和でなければ、好きな研究テーマを選択することもできないでしょう。
できるだけ平和な社会を作ることが、社会にとっても研究者一個人としても必要不可欠なことと考えています。その平和な社会を作るための条件として、エネルギー問題は避けて通れません。たとえば、エネルギー資源をめぐっての戦争もありますが、仮にどの地域でも再生可能エネルギーを使うことができ、かつ、いつでも使えるようにエネルギー貯蔵ができれば、エネルギー資源の奪い合いは減るでしょう。また、平時でもハリケーン等によって電力インフラが損傷を受ければ、電力を使えないために十分に暖房や冷房を使うことができなくなり、生命を脅かされることもあり得ます。そのような場合でも、十分な蓄電設備やマイクログリッド(後述)が機能していれば被害を軽減できる可能性があります。
電力の新しい動き
ここで出てきた「再生可能エネルギー」「蓄電設備」「マイクログリッド」は、人が電気を使えるようになってからでは、比較的新しい言葉です。なぜ、このような言葉が現れたか、その源流は環境問題と考えられます。化石燃料の燃焼により大気汚染や温室効果ガスの排出が起こりますが、産業の発展によってそれらはさらに加速します。このままでは、近いうちに人間も他の多様な生物も住みにくい地域が増えるので、温室効果ガスの排出を減らしましょう、あるいは、温室効果ガスの排出と吸収でバランスをとりましょう(カーボンニュートラル)と、足並みは様々ですが世界各国で環境問題に取り組む流れとなりました。電力分野でも、石炭などの化石燃料によって温室効果ガスが発生するので、発電時にはそういったものが出ない「再生可能エネルギー」を増やしましょうということになりました。しかし、再生可能エネルギーも万能ではないので、そのサポート役や協働できるものとして「蓄電池」や「マイクログリッド」が注目されるようになってきたと、私は考えています。
一見、ただただ素晴らしいもののように見える再生可能エネルギーの弱点は何でしょうか。それは、電気の特性とも関係します。蓄電池などがなければ、電気は貯めることができません。そういった場合には、使う量と発電する量をいつでも一致させる必要があります。しかし、再生可能エネルギーのうち導入量の多い太陽光発電や風力発電は、天候によって発電出力が大きく変化します。個人個人が再生可能エネルギーの発電量に合わせて電気を使う量を調整することはとても難しいので、電力系統規模(たとえば、東京電力管内)で使う量と発電量をピタッと合わせるように火力発電や揚水発電等で調整をしています。ここで「あれ?」と思いませんか。再生可能エネルギーを導入するのは、温室効果ガスの排出を抑えるためなのに、その調整のために火力発電を使うの?と。しかし、じゃあ火力発電をやめて揚水発電だけで対応しようか、ということにもなりません。1つの揚水発電所を作るためには、大きな溜池を少なくとも2つ作る必要があります。そのため今から揚水発電所をどんどん作るわけにもいきません。じゃぁどうするか…、一つは火力発電で排出される温室効果ガスを吸い取れば実質的には空気中に排出していないことになります。そのため、近年では二酸化炭素回収・貯留技術が注目を集めています。もう一つは、調整の一部を蓄電池でしてもらおうというものです。ただし、どちらも設備が必要なので、お金がかかります。その分は、電気料金という形でみなさんから徴収されることになります。そこで、第3の方法として、元々は再生可能エネルギーの発電出力が急激に大きく変化することが原因なので、再生可能エネルギーの発電設備にすでに備わっている機能を使って(つまり、追加設備不要)、発電出力が急激に大きくなる時には発電出力をこまめに削減するという方法もあり得ます。私は最近この第3の方法について、実データを使ってより良い方法がないか研究を行っています。
再生可能エネルギーの発電出力が天候によって勝手に変化してしまう問題について、別の視点でも考えてみましょう。もし蓄電池がとても安くなってどんどん使えるようになったら?…それは素晴らしいですが、再生可能エネルギーの設備利用率(最大出力に対する平均した発電割合)は、夜間は発電できない太陽光発電で10%台、風力発電(洋上)でもせいぜい30%程度と大きくはありません。そのため、平均的に使う量を賄おうと思えば、使う量の数倍の発電ができる再生可能エネルギーの発電設備が必要になります。また、その分蓄電池も、より大規模なものが必要となります。すごく安くなっても、それなりに費用はかかりそうです。
では、もっと別のことを考えてみましょう。東京電力管内とか大きい範囲で電気の使う量と発電量のバランスをとるから難しいんじゃない?もっと小さい範囲にして、太陽光発電と蓄電池をうちにつければ自給自足できるでしょ!と。ちょっと、自分だけが良ければといっている気がするので、あまり賛同はできないのですが、それも原理的にはありかと思います。実際に、町や小さいコミュニティに太陽光発電・風力発電・蓄電池などがあり、電力の自給自足ができるようになれば、ハリケーンが来て、大きな電力系統から切り離されたとしても、その範囲では電気を使えます。そこに病院などあれば、病気の人も安心して療養を続けることができます。また、周辺地域の人もその場所に避難することができます。こういった小さな範囲で電力を制御して自給自足できるシステムはマイクログリッドと呼ばれます。ただ、実のところ小さい範囲で電力の使う量と発電量のバランスをとるのは、設備の規模に対して発電量と使う量の 変化の 割合が大きいので、とても難しいです。そのため、世界的にマイクログリッドについての研究が続けられています。
リアルな挑戦
再生可能エネルギーの導入に伴い、電力工学分野での課題が沢山あります。しかも、この課題をうまく解決できるかどうかで、世の中が変わってきます。机上の空論やバーチャルな世界での体験も楽しいものではありますが、これらの課題はリアルで、場合によっては人の生命にも関わるものです。このような課題への挑戦は、やりがいもありますが、大きな責任も伴うものと考えています。
また、これらの課題はそれぞれが絡み合う複雑な問題なので、一人の天才が現れれば解決する、とか、生成AIがなんとかしてくれる、ということは現時点ではなさそうです。そのため、この記事をここまで読んでくださったみなさんの中から一人でも二人でも仲間になってくれる人が現れるととても嬉しいです。