電気工学を共に学んで、日本を復興させよう! / 佐久 岳彦さん(修士2年生 さきゅう たけひこ)細谷 竜馬さん(修士1年生 ほそや りゅうま)

私たちが使っている電気から発電の種類が分かる(佐久)
“可変速発電機”の新しい可能性を引き出す(細谷)

皆さんの研究内容を教えてください。

「需要側が「この機械には原子力発電」を、「この機械には火力発電」を、「この機械には太陽光発電」などといった設定ができるシステムが作れないかを研究しています」と語る佐久さん

佐久:私は、「品質別需給平衡を可能にする電力潮流制御システム」の研究です。簡単にご説明いたしますと、今の電力システムは原子力や火力、水力、太陽光、風力など色々な種類の電源がありますが、消費者はどの電源の電力が届いているのか分かりません。そこで、ITを用いて、今、使っている電気はどこで発電したのかを分かるようにしたいと考えています。そして、需要側が「この機械には原子力発電」を、「この機械には火力発電」を、「この機械には太陽光発電」などといった設定ができるシステムが作れないかを研究しています。

この研究は、先輩が研究していた"電力のパケット化"を受け継いで行っています。電力のパケット化とは、電力を分割し、IPパケットのように送信先を指定して送電することです。簡単に言えば、電力に情報を付帯して郵便や宅配の小包のように送電しましょうということです。私はさらに詳細に三相交流の波形の部分から、シミュレーションを行っています。

「“可変速発電機”を使って電力動揺を抑えようと研究しています」と語る細谷さん

佐久:私は、「可変速発電機による電力動揺抑制」の研究です。まず"電力動揺"からご説明いたします。そもそも発電機は、東日本でしたら50Hzで回っていて、発電と需要は常に同じ量でバランスをとっています。しかし何らかのトラブルで、そのバランスが崩れた場合に、発電機によっては機器のスピードが速くなったり遅くなったりする現象が起きるのです。この現象が起きた発電機は、電力システムから外してしまう必要があります。当然、発電する量が足りなくなると停電が起きてしまいます。これが"電力動揺"という現象です。昔からある現象なのですが、最近は、そこに不安定な再生可能エネルギーも入ってくるので、より懸念材料が増えています。

そこで、私は"可変速発電機"を使って電力動揺を抑えようと研究しています。普通の発電機(同期発電機という)は、一定の周波数(速さ)で回っていますが、可変速発電機はその必要がありません。発電機の回転エネルギーを利用して高速な出力制御をすることで、電力動揺の抑制が可能となります。現在は"可変速揚水"のみが実用化されており、揚水時のみに可変速運転が行われています。

3月11日、震災が発生した日

震災が発生した当時のことを教えてください。

斎藤:私はこの建物(総合研究棟)の9階にいました。友達と話をしていたら地震速報が鳴って、「ああ、揺れてる」と最初はいつも通りだったのですが、なかなか揺れがおさまらないので、だんだんあせってきました。とりあえず研究室(同じ総合研究棟の9階にある)に戻ったら、本震で、激しく揺れ始めました。もうそのときは立っていられなくて、壁のところに手を置いてしゃがんで揺れがおさまるまで待機していました。研究室の中では、本棚の本やディスプレーが床に落ちました。一番高価なものはパソコンですが、床に置いてましたので、被害はほとんどありませんでした。しかし、現場は散乱していましたね。

細谷:その日は、1号館の隣にある実験棟にいました。「さあ、帰ろうか」と思ったときに、携帯の緊急地震速報が鳴りまして、机の下に隠れたら、もうドーンという感じで揺れがきました。なんとか、総合研究棟にある研究室に戻ってきたのですが、近くの駐車場へ集合するよう大学側から指示を受けました。困ったのは寒さです。上着を研究室の中に置いていたので、大変つらかったです。それから2~3時間後に、研究室の中へ入って上着や家の鍵を取って、帰りました。研究室内はぐしゃぐしゃでしたが、そのときは、大変なことになっているとは思いませんでした。「明日みんな戻ってきて片付けしようか」と話して別れたことを覚えています。

震災発生当日から、その後の様子をお教え下さい。

「研究室へ来て片付けをしていたら、ようやく携帯の電源が復旧して「大丈夫か」というメールがたくさん来ていました。これで津波などを知ることができて、恐ろしい状況が把握できた感じでした」と語る佐久さん

佐久:当日は、友達の車に乗せてもらって、仙台の中心部にある家に帰りました。渋滞がすごくて、普通は車だと20分くらいで行けるのですが2時間ぐらいかかりました。家に帰ったら真っ暗で、電気が来ていませんでしたが、当日は結構楽観的でした。次の日、研究室へ来て片付けをしていたら、ようやく携帯の電源が復旧して「大丈夫か」というメールがたくさん来ていました。これで津波などを知ることができて、恐ろしい状況が把握できた感じでした。その次の日の深夜12時ごろに電気が来ました。ガスもプロパンガスで復旧したので、ようやく日常的な生活を送れるようになりました。

細谷:私は当日、原付バイクで先輩と一緒に家へ帰りました。帰っていく途中に、すごく渋滞していて信号もついておらず、異常事態になっていることに気がつきました。明日の食事ぐらいは買おうと思って、コンビニへ行きましたが電気が通っていなくて、薄暗がりという状態でした。店の外まで行列ができていて、結局、お菓子ぐらいしか買えなかったですね。コンビニの人もレジが動かないから全部電卓で計算して、小銭を渡していました。

ようやく自宅へ戻ったら、部屋の奥にある冷蔵庫が玄関にあったのには驚きました。部屋の中も強盗が入ったような感じで、ぐしゃぐしゃでした。しかも電気がない状態なので、余震で揺れたりすると、すごく恐怖を感じました。そこで近くの法務局へ行って、その晩は過ごしました。法務局には、段ボールやストーブ、乾パンや飲み物などもあったので、わりと安心できましたね。携帯の電池は切れていたので、公衆電話の行列に並んで、ようやく家族と連絡が取れました。

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